20代前半で結婚して妊娠、出産を経験した私は、自分が「不妊」とは全く関係ないと思っていました。しかし、2人目を望んでいても毎月来る生理…。妊娠する気配がない自分の体に焦りを感じるようになっていました。
1人目を出産して5年程経った頃、「もしかしたら私は不妊なの?」と考えるようになりました。妊娠することは特別ではなく、みんなが経験できることだと思っていた自分が無知だったのだと知りました。
子どもが学校に通っている時間に不妊治療クリニックを受診して、検査・治療を進めました。妊娠を望んで1年経っても授かることができない場合を不妊と呼ぶそうです。この定義から私は完全に2人目不妊でした。
私が体験した不妊治療では最初に、不妊基礎検査と呼ばれる検査を受けましたが、夫婦ともに異常はありませんでした。
原因が見当たらなかったのに、タイミング療法では授かることができなかったので、人工授精に移行しました。そして7回目の人工授精で妊娠することができましたが、途中で成長が止まってしまい、妊娠9週で稽留流産。
ショックでさらに焦りも大きくなりましたが、人工授精をあと何度か挑戦すれば授かれるのでは、という思いもありました。
しかし、何年待っても授かる気配なし…。
人工授精を何度受けても、受精も着床もしない状況が虚しくて、治療を休憩しました。子どもが10歳になった頃、自分の年齢も30代後半に入ったこともあり、最後の挑戦をしてみたいと思うようになりました。
夫婦で話し合い、再度新しいクリニックへ通うことを決めました。
以前までの検査結果と治療の流れを説明すると、担当医師から「人工授精を長く試すよりも、顕微授精に切り替えるべきでは」とアドバイスされました。
高度不妊治療を受けるとは想像もしていなかったので戸惑いました。金銭的な負担も大きいのです。そこで私たちは「3回まで挑戦してみよう」と、不妊治療の辞め時を設定し、顕微授精を受けることに。
1度目の顕微授精で着床まで進みましたが、稽留流産となりました。2度目の顕微授精では卵子の多くが育たず、1つも着床することもなく終わってしまいました。
1、2度目と同じように卵子を育てて、顕微授精に臨みました。ひとつ今までと違っていたのは、「今回で最後にしよう」と考えていたので、気持ちが楽だったことです。私にとって当時の状況は相当のストレスでした。
最後の顕微授精。卵子の数や受精卵のランクなどはいつも通り。
ストレスが少なかったこと、クリニックで予約が最も取りにくい院長先生に受精卵を戻していただいたこと、いつも休んでしまうジムに毎日通え体を温めることができたことなど…いろんな偶然が重なり、妊娠することができました。
友人から「流産した数だけ命が自分のところに帰って来るんだよ」という言葉をもらったことがあります。その時は、「またまた~。そんなことがあるわけないよ」なんて聞き流していましたが、結果2度の稽留流産をし、双子を授かることができて驚きました。
何度も流産を経験したり、不妊期間が長くなると諦めの気持ちが大きくなります。私たち夫婦は原因不明の不妊で、治療方針が定まらず、ダラダラと治療をしていた時もありました。
悲しい、虚しい、焦り…。不妊治療では経験することが多いですが、私たち夫婦はこの経験から知ったことや、感じたことは全て大切な経験だったのだと思っています。
私の経験が少しでも、不妊治療で悩んでいる方のためになればと思います。
(ファンファン福岡公式ライター/emytera)