タモリさんとの間接的関わり書きます by久留仁譲二 

 説明無用の国民的タレント・タモリこと森田一義さん。出身地の福岡市にいると、色々関わりのあった方のお話を聞きます。初めて知ることもあると思います。私の聞いた話を書いてみます。
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初めて生のタモリを見た日

 こんにちは。得たいの知れない男・久留仁譲二です。
 きょうは、福岡市出身の有名人、タモリさんのことを書きます。知り合いではありませんが、地元の福岡で暮らしていると、直接彼のことを知っている人がそこそこいらっしゃいます。その人たちから聞いた話が主ですが、最初は私が初めてタモリさん本物を見たことからです。といっても、それ以後お見かけしてないので、最初で最後です。
 それは、私が15、6歳の頃です。早良区(当時は西区)の室見団地で部屋にいたら、父が「タモリが来ちょーっ」と大声で呼びに来ました。大急ぎで階段を降り、走って声の聞こえる方に行くと、そこには市議会議員の立候補者が演説中。大柄で精力的なその人の横にこぢんまりと地味なセーター姿のタモリさんが立ってました。候補者は初めての選挙で、旧知のタモリさんを応援弁士に呼んだのでした。
 タモリさんは確か「私は曲がったことが大好きだけど、〇〇先輩(候補者のお名前)は曲がったことが大嫌いで、いつも怒られてばかりでした」みたいなことを言ったような気がします。
 とにかく、私の父が帰り際小声で、「タモリは顔色真っ青だね。ありゃ長くもたんよ」と言ったことは覚えてます。たしかに、青白く影の薄い様子で、「売れっ子芸能人はよっぽど酷使されるんだな」と思いました。

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 現在の室見団地の様子。売り出した数十年前は大人気で結構、エライ方も買ったそうです。うちの親は今も借りて住んでます。

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 この集会所の前あたりにタモリさんたちがいたような気がしますが、定かではありません。

ナゾの”タモリ”の声を初めて聴いたのは

 話はさかのぼります。私が”タモリという人”の声を初めて聴いたのは中学2年生のとき、45年前です。なぜ「声を聴いた」かというと、ラジオだったからです。しかも、日本短波放送(現ラジオNIKKEI)というあまり人が聴かない局の番組です。当時私は一部で微妙にブームだった「BCL(海外短波放送受信)」というマイナーな趣味にはまり始めた時期で、その紹介番組の進行(今でいうナビゲーターですか?)をしてたのが、タモリだったのです。「誰じゃろう?この人は」と思いました。当時別のラジオ番組(ビートルズ崇拝の内容)で声を聴いてた故・鈴木ヒロミツさんに声が似てると思った記憶があります。

 テレビにも出始める

 それから間もなく、タモリさんの姿をテレビで見かけるようになりました。ラジオのイメージと違ってて、最初は分かりませんでした。
 「うわさのチャンネル」でよく見ました。和田アキ子さん、せんだみつおさん、亡くなったデストロイヤーさんや山城新伍さんが出てました。内容が低俗だと批判されてた番組です。タモリさんは、有名なイグアナの物真似とか「四か国語麻雀」とかのネタを披露してました。当時は、今のサングラスじゃなくてアイパッチという海賊とかがする片目を隠す、眼帯のような布がトレードマークでした。最近では、ドラマで田中みな実さんが着けてます。
 イグアナも見たことないし麻雀も知りませんでしたが、妙におかしくて楽しみでした。
 しかし、イグアナをネタにするくらい、爬虫類的なヌメヌメしたイメージで、お茶の間からのタモリイメージはあまり良くなく、とくに女の人からは不人気でした。

オールナイトニッポンで絶好調時代

 冒頭に戻りますが、私が”生タモリ”を目撃したのはテレビで有名になった直後です。
 まだ「国民的人気」にはほど遠い頃、ニッポン放送の深夜ラジオ「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを始めました。私はこれで決定的なタモリ信者になりました。当時のマネージャーとか赤塚不二夫さんと繰り広げる日常の馬鹿話が彼の話術にかかると魔法のようにおかしく、夜中笑いをかみ殺し、翌日学校で友だちとその話をするのが楽しみでした。ホテルに一緒に泊まった仕事仲間が普及し始めのオートロックに裸で締め出され、前と後ろを押さえながら、フロントに助けを求めに行った話など絶品でした。
 地元の歓楽街に敬意を表して(?)、「中洲産業大学教授」というキャラを演じだしたのもこの時期です。私もオールナイトニッポンに何か投稿して、中洲産業大学のロゴ入った書面をもらいました。

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 上は、この連休中の中洲の一角です。まあ、昼間は人通りが少ないのは、どこでも盛り場の常ですが、今は自粛自粛で夜も寂しいものです。早くにぎわいが戻ってほしいものです。

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 上2枚の写真は中洲の中心部にある多門通り。中洲には、こことか錦小路とか味わい深い路地がいくつかあります。20代の頃のタモリさんもこの辺りで飲んだんでしょうか? そのへんの話は私は聞いてないですね。

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 なんか、昼の中洲紹介みたくなってますが、この上の写真のあたりが多くの人がタクシーで「交番前」と伝える中洲交番の前です。

居候のプロが居た「露切橋」周辺

 ここまで読んできて、「全然本題に入らんじゃないか」とお怒りの声が聞こえそうです。ぼちぼち、無名時代のタモリならぬ森田一義氏を知ってる人からの話を。
 私が会社に入って3年ほど同じ部でご一緒した方が、「あのタモリちゅうのは、うちに居候しとったとばい」と言われてました。実は、その人は先ほど書いたタモリさんの応援演説の候補者さんの弟さんなのです。兄上は、選挙で初当選して、その後ずっと当選し続けてます。

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 この「露切橋」という交差点の近くが、若きサラリーマン、森田一義氏が居候してた私の会社の先輩のご実家があった辺りです。住所でいうと福岡市中央区薬院、地元の人は当然知ってますが、中心部の天神から歩いても近いまちの真ん中です。

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 左にまっすぐ進めば、天神です。ここ、ドラッグストアとコンビニが隣り合ってて、超便利です。
 それはいいとして、会社の先輩は、森田青年のことを、「えらい大人しくて真面目やった。テレビで見るようなあんな感じじゃなかった」と振り返ってました。まあ、多分猫かぶってたんだと思います。後に、赤塚不二夫邸で堂々と居候するプロのタモリさんも、さすがに先輩の家では「三杯目にはそっと出す」居候の作法に則って暮らしていたものと思われます。

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 借りてきた猫を演じていた、実は面白過ぎる素人、森田一義青年が世に出るきっかけとなったどんちゃん騒ぎの舞台、「タカクラホテル福岡」は、この橋からほど近い場所にあります。今回写真を撮ろうと思って、忘れてました。
 後に森田一義氏を赤塚不二夫さんたちの仲間に紹介したジャズピアニストの山下洋輔さんたちがホテルの部屋で大騒ぎしていたのを聞きつけた後のタモリさんが、勝手に飛び入りして朝まで騒ぎ、「モリタです」とだけ言い残して立ち去って行ったのを山下さんが探しあてたという逸話(本当のようです)が残っています。

”有名人養成機関” 市立高宮中学校

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 これがタモリさんの通った高宮中学校の西側の出入口です。地元ではみんな知ってますが、彼だけでなく、高橋真梨子さん、森口博子さん、氷川きよしさん、華丸大吉さんなどなど、出身有名人が多いことで知られます。私の知人にも出身者が多いです。おととし体育館で開かれた大同窓会には、タモリさんからのビデオレターが寄せられたそうです。
 35年ほど前に一世を風靡した漫画「ビーバップハイスクール」の作者きうちかずひろさんも高宮中出身です。主役の二人組・ヒロシとトオルのモデルも在籍してたそうです。漫画は近くの「第一高校」が舞台だそうで、高宮駅の焼鳥屋などまんまの絵柄で登場してたので、親しみがありました。
 また話が逸れました。
 高宮中の正門などもっと写真撮りたかったんですが、けっこう中に人がいて、不審者と間違われそうなので、上の1枚だけで勘弁してください。

筑紫丘高校のブラスバンド部

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 中学の次は、タモリさんの高校、県立筑紫丘高校です。ジャズ好きの森田少年は、ブラバン(吹奏楽部ですかね?)に所属してました。私の会社の同期も同校の吹奏楽部OBで、以前里帰りしたタモリさんと「共演」したことがあるらしいです。「お前のペット(トランペット)の音は笑ってる」と馬鹿にされて、ジャズ演奏の道を諦めたというタモリさんですが、昔「今夜は最高」とかテレビで披露した演奏は結構、上手いように思いましたが。

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 高宮中学校とは違い、人けが少ないので、高校の写真はゆっくり撮れました。私は初めて訪問(門の外ですが。こういうのを”門外漢”というのか)しました。なんか色々大会に出ているようです。

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 陸上や水泳みたいなオーソドックスなものから、かるた、軽音楽、クイズ…、多彩ですなあ。色々な特技を持った生徒さんがいるようです。
 タモリさんに戻すと、仕事先の方、関西の方ですが、子どもの頃博多区竹下のアサヒビールの社宅にお住まいで、お姉さんが筑紫丘高校の吹奏楽部でタモリさんとご一緒だったそうです(学年は確か違ってお姉さんが先輩)。一度、タモリさんたちが社宅に立ち寄ったそうですが、その頃からなんかおかしなことを言ったりしたりして笑わせてたそうです。内容も聞いたんですが、残念なことに忘れてしまいました。スミマセン。
 ということで、やはり昔からふざけていたみたいで、薬院の居候時代の真面目なサマは仮の姿ですね。

 タモリさんの母校筑紫丘高校は、東京でも同窓会をされているみたいです。二次会は、同高校のOBの方が経営される歌謡酒場「スポットライト 新橋店」で開催されることが多いと聞きました。今は、コロナウイルス禍の自粛で営業の状況はわかりませんが、タモリさんと同窓の方は一度行ってみると楽しいですよ。本店は天神です。今、若い人の間で昭和歌謡が受けていると先日「マツコの知らない世界」でやってました。

 結局、何の話かわかんなくなりましたが、浅いながらも地元。福岡でのタモリさんの足跡をたどってみました。

※掲載されている情報は、2020年05月時点の情報です。プラン内容や価格など、情報が変更される可能性がありますので、必ず事前にお調べください。
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